世界のあり方

SBI Cyber Mgegacity って長いから良い略称ないかな。
東京0区で早く通じるようになればいいのだけれど。
ここでは東京0区で通そうかと思う。


さて、東京0区のWikiが出来たようだ。


このWikiには東京0区の創造が込められる予定だ。
余りに見当違いだと思うのは、「生と死」なんていう概念から何から決める気でいることだ。
けれど、そういうのは、その世界に接する度合いで様々だろう。


例えば、仮想世界の死を自分なりに少し考えてみると、
アバターまたは、キャラクターが削除されることが死であるのか、その世界に繋ぐことを辞めたことが死であるのか、他にもいろいろある。
私は、キャラクターを消すことが死であると思う。
そして、消したキャラと同じ名前、もしくは何らかの類似を意図的に組み込んだキャラは、削除したキャラの転生だと考える。
これは、RO(Ragnarok Online)で同じ名前のキャラクタを作りなおした私の考えだ。
そういった意味で、仮想世界上で死は存在していると考える。生もまたしかり。


この考えは、キャラクタに愛着がどの程度持てるかという個人差がある。
この世界への依存度でも変わってくる。すべて個々の要素だ。一つの答えが出てくるとは到底思えない。
むしろ、宗教で分割して、まとめるのがいいんじゃないだろうか。


仮想世界における死の恐怖があれば宗教も起こるだろうし、起こらなければ、死の意味を思索する必要すらない。
死とは恐怖であるべき、というのは現実からの概念の押し付けだろうか。


SBIは、多くの答えを求めすぎているのかもしれない。
ただ、私も知りたい。だから成功して欲しいと思う。


Web上での死の形態
死者はSNS上でやむなく存在し続ける(Social Networking.jp)