宗教勧誘の人と話す。

面倒なことになった。木曜日教会に出頭しなければならなくなったのである。
彼らはやはり2人組でやってきて私に語った。

末日教会
モルモン書 ― 預言者ジョセフ・スミス

私はいつものように宗教勧誘の人を拒まず、むしろ私は楽しんでこの人々の話を聴き、私自信の考えを語った。
私は宗教というものに興味がある。神という曖昧なものは、私の中では物語であり、現実と混合して考える事はある意味でエンターテイメントの一種であると考えている。それゆえにそれを真剣に語る人々がとてもとても気になって仕方が無い。そうして今日も勧誘の話に耳を傾けた。
しかし、彼らはいつもの勧誘に比べ、とても賢かった。私が話をもうちょっともうちょっとと引き伸ばしているうちに、彼らの聖典であるモルモン書を手渡され、そしてそれを一週間貸してさしあげるといってきた。私は受け取ってしまった。モルモン書を受け取らねばいいだけの話なのだが、あいにくその聖典に興味を持ってしまっていた。彼らの考えが新興宗教特有の現在の教会批判から始まり、新たな預言者の出現へと繋がっているために、逆に興味を持ってしまったのだ。
私のかかっている、断われない病が悔やまれる。
私が時々通っているルーテル教会はルターが起こした宗教改革後の宗教である。ルターという実在の歴史的人物が関与している分、まだ信頼性はある。あくまで宗教という世界の土台の上ではあるが。
宗教とは人が今現在生きている世界を激変させる、ある意味で麻薬である。神の世界と人間の世界ではなく、宗教を信じる人々の世界と信じていない人々の世界に別れると思う。この差には深い溝がある。
しかし、新興宗教は信じていないものを信じる者達の中に溝を越えるための橋をかけてしまう。今までとは違う考えであると説き、しかしその本元は多くに知られた聖書であるが。今までの宗教とは聖書を読んだ人々の解釈によってゆがめられた教会ばかりが存在してきたと言い、聖書の中にある矛盾を少しばかり正し、そこを強調し、信じさせてしまうのである。「いまであの宗教とは違う」そこがキーワードである。みんな気をつけられたし。


ちなみに私的には一神教であるキリスト教より多神教である北欧神話の方が体にいいと思う。


そして、いままでと違う神の解釈を得たいなら、この本を読んでみてほしい。ちょっとは考えてもみたくなろうであろうから。
 

神は沈黙せず

神は沈黙せず